お寺と教会
駅から降り立って驚いた。
普段閑散としている駅前に人が右往左往している。
近づいて人だかりをみると、大きな坊主頭をかぶり坊さんに化けたゆるキャラが愛
嬌を振りまいていた。傍らで二人の本物の坊さんがビラ配りをしているのだった。
ゆるキャラは町おこしや観光地のシンボルとして人気のアイテムだけれど、まさか
こんなちっぽけな駅前のお寺のために登場するとは・・・
私はハハーン、と思った。駅前のお寺がまた何かするのだな。
チラシをもらうと、案の定、寺の境内で催されるイベントの案内で、日曜日、境内
に屋台と無名歌手のコンサートで人寄せをして、申し訳のように説法があり、本命
の葬式相談があるというのだ。
思えば最近、この寺はすっかり様変わりをした。
以前は地元とあまりかかわりなく、葬式仏教の典型のように大小の葬儀場を持ち、
駅前という利便さをうけて、社葬、個人葬などにフル活用していた。
ところが、最近の葬式の多様化と小さな家族葬の普及で、この寺の葬儀はめっきり
減ったのだった。
そこで、この寺は起死回生にとイベント事業に力を入れ、お高くとまっていた仏教
を開かれた宗教として生き残りをかけるようになったのである。
地元の人にはその意図が見え見えである。
一方、この街には古いプロテスタントの教会もある。
教会の性質上日曜日にはミサがあり、平日も老若男女のための集会を催す。
さらに定期的に「ウエルカム・サンデイ」といって、地元の人に1日教会を開放し、
神父による説教と讃美歌の合唱、お昼には無料ランチが振る舞われる。またクリス
マスにはプロによるクラシックコンサートを開く。こうした地元密着の活動はずっ
と続いているのだ。
そこにはつけ刃ではない人々への無料奉仕・慈善を施すという理念がある。
いままで仏教の歩んできた道はあまりにも形式的であった。
仏教もキリスト教も最近の人々の宗教離れに危機感をもつのは同じだと思うのだが、
民衆の心に寄り添わない、形だけの布教活動では成功しない。
人々の気持ちはゆるキャラでは取り戻せないのである。 |