●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんから俳句一般への希望と期待。
Shall we 俳句? その 5
遊びの俳句
“俳句は自然を詠むものである”
と入門書には書かれている。
“日本人は本来自然美にあこがれ、それを愛でて生活して来たので、その精神は日本人
の心に脈々と受け継がれている。まして俳句愛好者なら自然観照とか、花鳥風月などは
得意中の得意であろう。まず基本は季語を大事にして自然を写生すべきである”と続く。
でも、ちょっと待って。何を隠そう、私は自然が苦手。そしてただ花鳥風月を愛でる句
にあまり魅力を感じない。
もっと白状すれば、花の名前がわからないし、樹木だって椎の木と樫の木の区別はつか
ないし、菖蒲とアヤメとカキツバタの違いとなるとお手上げだ。
そんな人間なので風雅な自然観照の句などできるはずがない。
我が句会も季題が萩、水引草と花の名前が続いた。
さすがに萩は知っていたが、水引草は、大人になって、ある茶席に飾られていて初めて
知ったくらいである。風雅とは縁のないがさつな人間なのだ。
ならば、そんな自然音痴がなぜ俳句を?
それは、五七五でまとめる潔さとその短さにどれだけ内容を盛り込めるかという遊びと
してである。
もともと、風景よりも人物に興味があることだし、花鳥風月なんてくそくらえ! (お
っと、下品な言葉でした)
日常の有象無象の出来事や心の在りようを日記代わりに詠めたらいいな、と思うのだ。
ならば、川柳の方が向いているかもしれないと言うだろうが、川柳はひねりと見識が必
要なので、私にはとても難しくて手がでない。
俳句は、季語を入れること、切れ字の使い方など、結構約束事がある。
ルールの束縛に苦しみながらひねるのも遊びの醍醐味であろう。
目指すはメールの用件も五七五で表現してみたい。