●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、ささやかなのに世界を切り取る仕事を知りました。
栞は語る
友人と回し読みをしている本を開いたら栞が挟んであった。
見ると、京都の清水寺の三重塔が写っている。観光地のおみやげとして売られている古い
ものだ。鮮やかすぎる印刷がちょっと嘘っぽいが、さすがカメラアングルは確かだ。昔、
行った記念に買ったのだろうか、それとも貰ったものだろうか。
栞を集めている人は多い。というよりもなんとなく溜まっていくものだ。
私の手元にも、教会へ行くたびに貰った聖書の言葉が印刷されたもの、旅行へ行った人か
らのおみやげのもの、四季折々の花を墨彩画で和紙に描いたもの、薄い木片・金属片の凝
ったものなどさまざまある。
この本にはこれをと選ぶのも楽しい。
栞は枝折とも書き、山林で道を覚えておくために枝をおって目印としておくものという意
味が本来の意味らしい。
今では紙と紙の間に挟まれる、こんなささやかな場なのだけれど、どこに挟まれているの
か、どんな理由で挟まれたのか、挟まれた栞の場所を読み返すと過ぎた時間の懐かしさや
感動が伝わってくるものだ。
何気ないアイテムなのにちょっと気になるのが栞の存在。
あるときこんな短歌をみつけた。
「冬の野を言葉の雨がおおうとき人はほんらい栞だと知る」
なんと心に響く言葉だろう。
言葉が紡ぐ世界に住んでいて人は知らず知らずに栞としての役目を果たしているのかもし
れない。それならば、私は誰かの心に残る栞になっているのだろうか、などとふと思う。