●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんが見た世間の人々の諸事情(?)シリーズの5。



世間話シリーズ

ある八百屋の話の後日談


かなり繁盛していた八百屋が突然店を閉めたことに皆驚いた。

八百屋の主人に何が起きたのか…それは謎だった。

病気でもない、旅行でもない、引退でもないことは確かだった。

そして、ある日主人が大きなベースを背負ってイキイキと歩いているのが目撃され、謎

は解けた。

彼は音楽関係に身を投じたのだ。見事な転身だった。

彼は団塊の世代である。団塊の世代とは戦後の爆発的な出生率の世代で、それゆえ競争

が激しく、また新しい価値観を持つといわれた。“人生二毛作”という言葉が生まれた

のもその一つである。

その“人生二毛作”の考え方に彼は傾倒していたのである。

人は一生というけれど、途中からまったく別の人生を歩んだら、二生を生きることがで

きるのではないか。一つのことに専念してやりとげる充実感もいいが、全く別の世界を

味わうワクワク感も豊かで素敵な人生ではないかと考えたのだ。

親が亡くなり家業の八百屋を継いで約30年。地道な商いでそれなりに成功し、商売の

苦労も喜びも味わい尽くした。

では次なる人生は何かと思ったとき、彼は音楽を選んだのだ。学生時代バンドを組んで

活動していた経験があり、長年の趣味であり夢であった。

人生二毛作の背景には小椋佳の存在がある。銀行員でありながら歌手であり作曲家で大

成功を収めた小椋佳。その生き方を彼は崇拝していた。

小椋佳は天才なので仕事と趣味を両立させつつ、結果的に音楽の道で大成功した。自分

もあんな風に生きられたら……と。

彼は自分が天才肌ではないことを知っていたので両立よりも、経済的にも体力的にも可

能な時期にすっぱり八百屋を辞めて区切りをつけたのだ。

音楽は金銭の帳尻を合わせなければならない八百屋とはまったく異なる世界である。楽

器のテクニックを磨くのも大事だが経験がすべてではなく、自分の感性が大きな頼りで

あり偶然性もアリの、表現力という形のない世界なのだ。

このことは第二の人生として、新鮮でありやりがいのあることである。

彼は類まれな実行力と冷徹な判断力を持っていた。

やがて計画は軌道に乗り、仲間とオヤジバンドを結成し、練習を重ねながら人を集めて

ささやかなライブを楽しむまでになっていった。

サックスやドラムの仲間たちと心を合わせて曲をアドリブで表現したり、また観客の視

線を浴び、彼らを魅了して、大きな拍手に包まれたとき、彼は今までとは異なる生きる

喜びに浸るのだ。

それは一度味わうと妖しい魔に魅入られたよう酔ってしまうものだった。

まさにそんな第二の人生に夢中となっていた彼にさらに別の魔がさした。 (つづく)


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