『静物』という名の題名
絵の展覧会へ行く。
テーブルの上にコーヒーポットとビンを中心にしてまわりに果物がいくつかころがしてあ
る絵があった。題名は『静物』。
なるほど文字通り、動かない静かな物を並べた作品に違いはない。
でも、この作品の意図はなんなのだろう、と考えると、ちょっと素っ気ない題だなとも感
じる。
絵画にはその他にもよく『花』とか『風景』といった、見れば一目瞭然の題を見かけるこ
とがある。『無題』というのもあるくらいだ。
作者はもちろん何らかの意図をもって描いたのだろうが、題にはそれを示さず鑑賞者に好
きなように見てくれという思いなのだろう。
つまり作品は完成された時点で作者の側を離れ、鑑賞者の側に委ねられる。
作者は、どう見てもいいですよ、そのときの見る者の心象に委ねますよ、題はいかように
もつけてください、といった解き放ったメッセージなのだろう。画家の絵に対する思い入
れは描き終わった時点で完結してしまうからだ。
そこへいくと、小説の題名は作家にとって題名には拘ることが多い。小説のテーマを込め
ることもあるし、意外性を図ることもある。また題名いかんで読書欲がそそられるか否か
もあるので、頭を悩ますところだ。
先日、久しぶりに棚にある文学全集を手にとってみたら、庄野潤三作『静物』という題の
小説を見つけ、まるで絵の題のようだと驚いた。
早速読んでみたら、確かに取り立てた事件も起きない平凡でつつましやかな小市民の日常
が描かれていた。身近な小動物を小道具に、特に名前をつけずに父親、細君、男の子、女
の子、といった客観的な主語で話は進められる。
動きのない平凡なやりとりから生活の一コマを切り取ったという意味で静物という題をつ
けたのだろうか。そこから作品の静かで大きな包囲力を汲み取れ、ということだろうか。
果たしてこの題は成功しているのだろうか。
私にはわからなかった。 |