●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、銀座の変化を少し残念に見てるようです。
シリーズ 街角感傷
銀座
銀座といえば、格式、センス、洗練、高級といった上等のイメージが常につきまとう。
だから銀座はステイタスだった。
ローカルな街がこぞって目抜き通りを○○銀座と名付けたことでもわかる。
以前ミニコミ誌のリポーターをしていた頃、銀座のクラブのママを取材したことがあった。
銀座5丁目のあるビルの地下。店内はゆったりとしたボックス席がいくつか置かれていて
落ち着いた雰囲気であった。
「銀座に店を出すことは憧れでしたの。はじめ新宿で店を起こし、ようやく銀座に移るこ
とができて約10年。そりゃあ、銀座と新宿では格が違います。客種が異なりますからね。
銀座は皆紳士で話が間接的ですもの」
50才前後のママは趣味の良い着物姿で結いたての髪が美しい。
一通り今までの越し方を聞いた後、銀座界隈の話になった。
「銀座といっても近所づきあいはあるんですよ。前の小料理屋さんは行きつけでそこで晩
御飯を済ませたり、おかみさんと世間話をし、三原橋付近までいくと古くからの雑貨屋が
あってよく利用します。
銀座は商売の街ですけれど、なんといっても劇場と花柳界のある街でしたのね。
その影響は相当あると思いますよ。私はよそ者ですけれど、銀座本来の流儀があって、例
えば言葉とか応接のしかた、服装、食事まで、芝居関係者や花柳界の影響をだいぶ受けて
いたようでした。でも平成になって、料亭の主人も従業員も住まいは別になったでしょう、
銀座は住む人の少ない、いわゆる“通い”の街になってしまいましたね。人が住まねば伝
統は育ちません」
今や外国ブランドの出店が並び、今やユニクロも居酒屋チェーンも進出している銀座。そ
して、4年後のオリンピックを前にもっと大きく変わろうとしている。
昔ながらの老舗は少なくなり店の内容も代わった。代が替われば伝統も次第に薄れていく
のも時代の流れだ。
銀座は大きな転換して、ちょっとお高い「オトナの街」からなんでもアリの「ガキの街」
になったようだ。
そういえば、あのときのかっちりと和服を着たママは、銀座の華やかさとか粋とかとはま
た違った、瀟洒で品の良い茶道の先生のようだったな、と懐かしく思い出す。