●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんが病気の夫の心情を想像したシリーズの6。



シリーズ あるがん患者のたわごと

がんで良かった!


わたしは呑ん兵衛であった。今はほとんど呑まないから過去形だが・・・

40代から晩酌としてビールを飲んでいたが太ってきたので、そのうちウイスキーに

変えた。

あるとき、会社で嫌なことがあり気持ちがどうにも収まらない。わたしは会社のスト

レスを家に持ち込まない主義なので、気晴らしに一杯ひっかけて帰ろうと思った。

家の最寄りの駅は急行の止まらない私鉄の小さな駅で、もちろん歓楽街などはない。

だがよくしたもので、どんな駅にも商店街の片隅や路地裏に小さな飲み屋やバーがあ

るものだ。そこで、男たちは1日のほこりやアクを洗い流す。

カンを頼りに一軒の飲み屋に入った。カウンターを囲んで椅子が6つぐらいボックス

席が4つほどあるこじんまりとした店であった。

女将は着物をきた地味な感じの50代だろうか。カウンターで飲んでいると、近所の

常連客が入れ替わり立ち替わりやってきたが、あまり騒々しくないのが気に入った。

それ以来、私はときどきそこへ寄るようになった。妻にいわせれば、せっかく駅まで

帰ってきたんだから寄り道しないでまっすぐ家に帰りなさい、となるのだけれど、そ

うもならないのが男である。

あるとき、みんなでワイワイやっていたら、突然、理屈屋の文房具屋の大将がバタン

と倒れた。みんなが駆け寄ってどうしたんだ、と声をかけたが意識はなかった。

動かさないで! と女将は叫び、すぐ、救急車を呼んだ。

あとで聞くと脳卒中で、命はとりとめたが言語障害と体の機能障害が残り、不自由な

生活となったそうだ。

そんな昔話を今になって蒸し返して妻と話していたら、

「あなたはがんで良かったじゃない。がんなら最後の最後まで動けるんだから」

と妻がのたもうた。


戻る