シリーズ あるがん患者のたわごと
新聞の時間
絵を趣味にしている妻が、今年の展覧会にわたしをモデルにして「新聞を読むひと」と
いう題で油絵を描いた。紺色の部屋着にちょっと頬のこけたわたしがソファに体をあず
け熱心に新聞を読んでいる姿だ。
わたしは午前中ほとんどこうして新聞を読んでいる。ガンに侵され腰痛に悩む身として
は外出もままならないので唯一の愉しみであり、仕事でもあり、社会のとのつながりで
もある大切な時間である。
新聞は毎日と日経の二紙を取っている。
日経はボケ防止に株をやっているので欠かせない。とっくに金銭欲はないのだけれど、
仕事に没頭していた頃の自分を偲ぶよすが、といおうか、なかなか世捨て人にはなれな
いのだ。株価を見て思うのは時代の価値観は動くという事実。
というわけで経済面を丹念に読むが、文化面の『私の履歴書』も面白い。学者の話は専
門的に陥りやすく自慢話が多くなりがちだ。実業家も同じようなものだが、型破りな人
生を送ったり、修羅場を通り抜けているぶん、含蓄がある。
毎日新聞は一面の大きな活字に目をおいてから、5ページの社説から読むことにしてい
る。いまや政治に危機感があり国際問題もめまぐるしく変わり紛争も絶えない。こうし
た事件に対する新聞の姿勢や個性がもっとも顕著に表れるところだからだ。
広告を見るのも嫌いじゃない。
日経と毎日では読者層が違うので広告の傾向が異なり、世の中は広くてピンキリだと思
うことがある。
ただ、新聞を読んで恐ろしいことはわたしのように、病人で世間との窓口が狭いと知ら
ず知らずのうちにその感化影響を強く受けてしまうことだ。
なるほど、と読んでいるうちに保守的な新聞なら保守化し、革新的な新聞なら革新的思
考にならざるをえない。
ここが新聞の限界で、あとの判断はいままで培った己の本質的思想に頼るしかないのだ
ろう。 |