●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの心が少し救われたようです。



お祈りします


自宅の玄関を掃除していたら、誰かが私の名前を呼ぶ。振り返ると、近所の教会の牧

師だった。

たまたま通りかかり、私の姿を見つけ声をかけたらしい。鞄を持ってニコニコ笑って

立っている。

私はだいぶ前のある時期、教会の英会話教室やらアルファコースという初心者のため

の講座のような親睦会のような会に出席していた。

結局私は入信には至らなかったが、教会の人々の善意や一途さが強烈に胸に残ってい

る。おかげでいまだにクリスチャンへの信頼は格別ものがある。

目の前の牧師は少し老けたようだったが、そのぶん柔らかく温かい雰囲気をたたえて

いた。そして懐かしさを表情いっぱいに出しながら

「お元気でしたか?」と私にたずねた。

私は、あんなに足繁く教会に通っていたのに今はすっかり教会から遠のいているバツ

の悪さを感じながら、

「ええ、なんとか私は元気ですが・・・でも、主人がちょっと具合が悪くて・・・」

と疎遠になった言い訳のように言葉少なに答えた。

「そうですか。生きていればいろいろなことがありますからね。私も3年前腎臓がん

をしました。今はなんとかおさまっていますが・・・」

さらっとガンという言葉を使ったことに私は胸を打たれた。そして同じような境遇を

くぐり抜けたという親近感で、夫のことをその牧師に打ち明けたい気持ちにかられた。

「実は私の夫もガンなんです」

「はあ、そうなんですか…それは大変ですね、長いんですか?」

私は簡単に夫の二つのガンのことを言い、去年から入退院を繰り返したことを話した。

「それはおつらいでしょうね。気を落とさずに。そして苦難を一人で抱え込まないよ

うに」

“一人で抱え込まない”なんと心強い言葉だろう。

牧師は最後に「ご主人のことお祈りします」といって別れた。

私は思い出した。そう、教会へいくと些細なことから大きなことまで、そして自分の

ためにも他人のためにも神に祈るのだった。すべて神に委ねるのである。

私はしばらくぶりに会った牧師なのにぺらぺらと病気の話をしたのは、きっとガンと

いう重荷を少しだけ牧師に背負ってもらいたかったのだろう。


戻る