二人の科学者
立て続けに日本人がノーベル賞を受賞し日本中が湧いた。
どのテレビのワイドショーもこの話題で持ちきりである。
大村氏の功績は寄生虫感染の薬の開発とわかりやすい。すでに製品化されて、アフリカ
諸国の人々や日本でもペットの寄生虫除去に使われているという。
氏の研究が世のため人のためになったと思えば、その喜びは大きく、ますます研究に身
が入る、というのは想像できる。
それでは、物理学賞をとった梶田氏の場合はどうか。
あるワイドショーで私レベルの司会者がインタビューをしていてなるほどと思った。
「ニュートリノそのものについてよくわからないのですが、そのニュートリノに質量が
あるということはどんな意味があるのですか?」
「簡単にいえば、いままで現代物理学では質量ゼロの前提で組み立てられていたのです
が、それを見直して、宇宙解明に一歩進んだというものです」
「宇宙の謎を解くと我々の生活に何らかの変化がありますか?」
「いや、地球の成り立ちが少し明らかになるのではないかと…」
「例えば、地震の予知が進むとか、気象の変化がもっと早く予測できるとか…」
「いえ、それはまったくありません」
「先生はなぜ、こうした漠然としたものに興味をもたれたのですか?」
「面白いからです。実験を繰り返し、小さな変化を見つけるとわくわくするのです」
科学というと合理的思考がまず前提で、コツコツと地味な実験を繰り返し、壁にぶつか
り、不可能とあきらめかけ頭をかきむしっている姿が浮かぶ、かなりハードで苦難に満
ちた学問というイメージがある。梶田氏は楽しい、と一言で言ってのけたのがすごい。
私は人間って基本的には快・不快の感情で動く生き物だと思っているのだが、梶田氏の
楽しいからと続けてきたという明快な答えはおおいに納得した。
だが、そんな単純なものではないのは想像できる。
人間の感情は複雑で、理性も社会性もあるので見かけの不快を承知で行動するものだ。
だが、それを動かす基のところで快感を求める要素があり、両氏とも、目先の快感では
なく、たくさんの不快を乗り越えた先の深いところに喜びを感じていたのであろう。 |