●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、命の先生、を発見したようです。



冬の愉しみ その2


冬枯れの雑木林を歩く。

足元には乾ききった落ち葉がかさこそ。

人の手が入らないのびのびと思いっきり枝を伸ばした樹木の群れ。クスノキ、ツバキな

ど常緑樹もあればクヌギやコナラなど落葉樹もある。

始めは木から圧迫感を感じたり、静かさに包み込まれた不安感があったのだが、

そのうち樹木の静かな息遣いが聞こえるような、或いは上から見下ろされているような

視線を感じる不思議な感覚になる。

林が生きている・・・

と、でっぷり太った貫禄十分なおじさんのような樹があった。吸い寄せられるように近

づく。

まず根元の太くごつい幹を見、目線を徐々にあげていくと、横に縦横無尽に伸ばされた

枝があり、その枝にもまた枝をつけている。さらに上へ上へと枝をつけ、さらに細かい

枝の繰り返し。最後に思いっきり首を持ち上げて見上げたてっぺんの先には、青い冬空

をバックに網目のように細かい枝が広がっていた。

まるで線香花火のよう。

ごつごつと太い幹の大木のおじさんの先端がこんな繊細なレース状になっているなんて

…知らなかった。

葉をつけていた時は見られない裸の姿。

普段は葉っぱで人当たりの良いおじさんでいるのに、素になればかなり複雑で個性的な

のである。

自分の姿はこうなんだ、と揺らぎない自信に満ちて主張しているようだ。それは一途で

あり、一徹でもある。

木の人生は年輪だけじゃない。姿・形も張り巡らす枝振りも木の本質なんだって気が付

いた。

雑木林ではどの木も光を求めて外へ外へ、空へ空へと向かい生存競争が激しい。だから

生気に満ち満ちている。

とても幸せそうだ。

そう、ただひたむきに生きていることが最も幸せなのかもしれない。


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