●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんにも縁ある人のノンフィクションストーリのようです。


ニューヨーク帰りの松子さんシリーズ

そろそろ潮時


ニューヨークでは今年もしばしば寒波の影響で大雪に見舞われた。

その日も雪が降っていた。交通機関の乱れも予想されるとテレビのニュースが盛んに伝

えている。

(まったく…)几帳面な松子さんは気が気ではない。午後2時のフライトで日本に帰国

することになっているのだ。ただの一時帰国ではなく、引っ越しなのである。アパート

の家具はほとんど置いていくことにして、必要なものはすでに日本に送ってある。

とりあえず、身の回りのものが入った大きなキャリーバッグと手荷物を持ち、たっぷり

の余裕時間をとって,ケネディ空港行のバス停に向かった。


松子さんはフルブライトの留学生で50年前ニューヨークに渡った。大学卒業後も、す

っかりニューヨークの水があったのか、そのままニューヨークに居ついしまった。大手

日本企業のニューヨーク支店やらアメリカ企業の秘書やらといくつか就職先を変えたが、

日本語と英語を操る日本女性は常に重宝され、恵まれた楽しい日々を送ることができた。

ここ数十年はある語学校で、外国人には日本語を日本の駐在員などには英語を教える講

師をしていた。

結婚もしないで、気が付いたら82歳になっていた。

幸い、まだまだ元気一杯である。とはいえ、そろそろ老後をどこでどう過ごすか、考え

なければならない歳でもある。アメリカに留まろうか、日本に帰ろうか、ここ数年松子

さんの心は揺れていた。

ニューヨークにも、身寄りのない人々が入る老人ホームはあるが、入居者は様々な国籍

の人々であり、もちろんそこで飛び交う言語は英語である。

松子さんは歳と共に少女時代を過ごした日本に郷愁のようなものや細やかな表現の日本

語を懐かしく思うようになっていた。

そんなある日、古い友人であるやはり独身の日本女性ががんで亡くなった。後始末に日

本から姪御さんがやってきたのだが、言葉も通じず、制度もわからない異国での死亡手

続や葬儀やらができず、右往左往するばかり。結局見かねた周りの友人たちの手で行わ

れたのだった。

これがきっかけで、他人に迷惑をかけたくない、やっぱり日本に帰ろう…と松子さんは

決心したのだった。


松子さんは早めに着いた空港で時間を潰していたが、雪のためさらに2時間出発が遅れ

るとのアナウンスがあり、出迎えはいらない、と日本にいる弟に告げておいて良かった、

と思った。

空港内はさまざまな人種の旅人でごった返していた。待つ間ロビーから外の降りしきる

雪をぼんやり眺めていると、この地を再び踏むことがあるのだろうかと、少し感傷的に

なった。

眼下にはこれから搭乗することになるかもしれない飛行機が雪に埋もれている。と、そ

のとき作業員がぱらぱらと出てきて融雪剤を撒いて一瞬にして雪を溶かしてしまったの

には驚いた。

松子さんには、その光景が潔く今までニューヨークで身についた感覚をふるい落とし、

新しい世界に飛び込むための象徴的なできごとのように思えた。

ニューヨークでの長い生活をもう振り返るのはやめよう、生まれ変わって日本での新し

い生活に入るのだと気持ちを新たにしたのだった。

(つづく)


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