●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
思索者もどきさんの曲り角についての考察。
シリーズ 街角ストーリー
曲がり角
昔、観た映画のワンシーン。
夜更け、送ってきた男に女はこう言う。
「そこの角を曲がったらすぐ私の家なので、もうここでいいわ」
男はせっかくここまで送ってきたのだから、女が家に入るまでを見届けたいと思っている。
けれども、女はその場に立ったまま頑として動かず、すでに男を見送る体勢になっている。
男は仕方なく「じゃあ」といって踵を返し、たった今来た道を戻っていく。
楽しかった時間の後のこの中途半端な別れ方は男にとって何か釈然としない。家を見られ
たくないのか、それともなにか秘密がある
のか・・・まだ女が自分に心を許していない頑なさを感じるのだった。
一方、女は自分だけ一方的に両親の居る家の中に入って、いきなり娘の顔に戻りたくない。
ワンクッションの間が必要だったし、余韻のある別れをしたいのだ。送ってくれた男への
気持ちのお返しに、せめてその後ろ姿が消える曲がり角までじっと見送っていたい、と思
うのだ。
これは古い映画でだいぶ記憶が薄れているが、女をしっかり守りたい男心とムードを大切
にする女心がすれ違って結局二人は別れる結末だったような気がする。
“人生の曲がり角”という言葉があるように、曲がり角では何かが起こる。何かが変わる。
別れに曲がり角はつきものだ。
曲がり角で相手の姿が消えるから余韻やら、未練やら、幻影やらが残り、そして決断さえ
もできるのである。
曲がり角に消えた相手を今度は心の中で追い続けて、やがて自分自身の姿に重ね合わせて
いく。
ドラマはそこから再び始まる。