シリーズ 街角ストーリー
交差点
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」昔、そんなギャグが流行った。
車の流れが途切れたと見るや、一人が赤信号なのに横断歩道を渡り始めると、つられてみ
んなが渡りだす。それが一つの集団となると、もう、怖いものなしで、車の方で止まって
くれる、とタカを括って渡るのだ。
日本の多くの人の感覚はそんなものだろう。
雨が降りしきる夜、車が一台も来ない道で厳しい表情で赤信号が青に変わるのをじっと待
ち続ける老人がいた。
その老人はそんな数を頼みに無法が罷り通るのを苦々しく思うタイプなのである。ルール
は守るためにあるのだから頑として守る。
その老人は現役時代は商社マンで、海外出張が多く、外国の街を歩いていると国によって
交差点での光景がさまざまであることに気がついた。
中国や東南アジアなどはまったくの無秩序で、譲り合いという精神は皆無で、強引に渡ら
なければいつまでたっても渡れない。そもそも信号がまったくない道もあるのだ。
ギリシャは人も車も気ままで信号が赤でも青でもおかまいなし。
パリ市民は自己責任の精神が強く、自分の目の判断を尊重して、機械などには指図を受け
ないといったプライドの高さがあった。
ドイツへ行ったときは整然とルールが守られ、几帳面な気風が感じられ、老人はこれこそ
近代国家だと思ったほどである。
人々の国民性が最もよく表れるのは交差点ではないだろうか、と老人は思う。
そして、自分は頑固一徹なドイツの気質に近いのではないかと思った。
身の危険がなく誰も見ていなければ、赤信号が青に変わるのをじっと待つのはバカバカし
いと考えるのは合理的なようで、信条がなくだらしがない。またルールを破るときのなん
ともいえない後ろめたさを味わうのも嫌なのだった。
歳老いて老人は赤の他人にもそれを要求するので、すっかり小言の多い老人になってしま
った。自分にも厳しく他人にも厳しいのである。それで、だいぶ人に煙たがられている。
ラテン系のようにもう少しおおらかで気ままだったら、もっと楽に生きられたかもしれな
い、とふと思うことがあるのだが、これも性分なので仕方がない、とあきらめている。 |