シリーズ 信仰心
おおいなるもの
宇野千代の「生きていく私」という題の自叙伝がある。当時若かった私はなんと意志的で
カッコいいタイトルかと思った。
ところが歳を重ねさまざまな経験をすると、まなじりを決して運命を切り拓くというより
も、むしろ自分をさらけだして運命に委ねるという姿勢に変わっていた。いわば「生かさ
れている私」のような境地なのだ。
生きていくうえで経験する出来事や人との出会いには、幸せや喜びはもちろんのこと、た
くさんの不幸も悲しみも怒りもあって、反発したり、苦悩したり、教えられたりして徐々
に自分の中に沈殿していく。
それらは自分で選んだものもあるけど、向こうからやってきたものもある。そうした避け
られないことを乗り越え、やり過ごした果てにそれらは血となり肉となって、今ここに自
分があるわけだ。
そう思うとどんな経験も愛しくて、自分で取捨選択するなんておこがましく、すべて私の
身にふりかかってくれて「ありがとう」と感謝の念さえ浮かぶ。
なんだかとても謙虚に聞こえるかもしれないが、こう考えた方が気持ちが自由でラクにな
るような気がする。
これって運命という言葉を神様という言葉に置き換えれば、ひとつの信仰の境地なのかな、
とふと思うのだ。
子供の頃、いくつかのものを前にして迷ったとき、「どちらにしようかな、神様の言うと
おり」と人差し指で指しながら唱えて、最後に止まったものに決めることがあった。
このときの神様って、なんだろう。
おおいなるもの。
人間は身勝手で弱いものだから、自分の手に負えないときはおおいなるものを無意識に求
めているのではないか。
もしかしたら神様が人をつくったのではなく、人が神様をつくったのではないかと思うこ
とがある。
(このシリーズ終わり) |