シリーズ 震災余話
ありがたい
TVリポーターがごったがえす避難所へ行ってインタビューをする。毛布を被って背中を
丸め寒さに耐えているおばあさんはマイクを向けられると、気丈にも「助けていただい
てありがたいことです」という。
なんと謙虚な言葉だろう。
狭い場所にたくさんの避難者、プライバシーも保てない雑魚寝、劣悪の環境の避難場所
なのに、同じようなインタビュー場面で被災者の口から「ありがたいです」という言葉
をなんども聞いた。
おにぎりが配られた、足湯をつかうことができた、電気がついた、温かいものが食べら
れた、そんなささやかなことが実現するたびに、被災者の人たちは「ああ、ありがたい」
とつぶやくのだ。
それだけ今過酷な環境にあるということなのだろう。
つい、数日まであたりまえにあって、あまりにも当然すぎて感謝するほどのことではな
かったのに、被災地の人々はなにもかも失って、生きていく最低限のことさえも人の手
を借りて得なければならない環境におかれてしまった。いままでとるにたりないことで
当然手に入ったものが、直接人の手を通して得なければならなくなった。その際、人の
顔が見える、心が見える、思いやりが見える。だから自然に「ありがたい」の言葉がで
たのだろう。
これは大事なことである。
普段私たちは対価を払えば意のままに食料や生活必需品やライフラインなどを得ていて、
その先の人の働きまでは思いもよらない。極端に言えば取引であり言葉もいらない。し
かもそういった経済活動はずっとこのまま続くと錯覚していた。
今度の震災の唯一の収穫といえばなんといっても人々の支え合いだろう。
命も日常の生活もすべて人の働きがあって支えられていること、とるにたりない日常の
連続こそわたしたちの拠り所であったのだと気がついたことである。
誰がいったのか忘れたが、「幸せはささやかなのが極上」という言葉を思い出す。 |