会話シリーズ
舌禍
旅館の女将は接客業である。サービスはもちろん、旅の気分を盛り上げるような、土地
の話題や世間話などが豊富であることも大事なのだ。
そこで、K女将は日頃から一般的な世間話から人の心理学まで幅広くネタを仕込んでい
て、いっぱしの話の上手な名女将になっていた。
あるとき、男性3人、女性3人の小さな団体の席に挨拶にでた。
「今日はお天気に恵まれようございました。どちらへお越しになりました?」
みんなの顔をぐるりと見回し、にこやかに訊ねた。
「吾妻小富士に登ってきたよ」
と一人がいえば、
「登山といっても車で行って、それからほんのてっぺんまでのジグザグコースだから大
したことなかったわね」
「頂上はまったくの霧でね、風も強く何も見えないのですぐ降りてきた」
「天気よければお釜の周りをハイキングして眺めを楽しめたんだがなあ」
などと、口々に報告をした。
すると、ひとりの男性が仲間のひとりの女性を指して
「この人はね、日頃から腰が痛い、膝が痛い、体が弱いというものだから、登山杖を貸
してあげて後ろから見守ってあげたんですよ」
というのだった。女将はその女性を一目見ると、柄も大きいしとてもひ弱そうには見え
なかったので、したり顔で、
「とかく弱い、弱いという人はね、みんなの注目を浴びたいからそういうんですよ。ま
た、かばう人は弱い人を助けたという自己満足がえられるということなんですね」
と、心理学の知識を披露した。
するとどうだろう、言われた女性はみるみる顔色が変わり、
「私、注目を浴びたいから弱いだなんて言ってないわ。子供じゃあるまいし…長いこと
どんなにか悩んで、それが深い劣等感になっているのに…人の気持ちも知らないでそん
なふうに決め付けないでください」
とぷりぷりと怒ってしまった。
女将はこうして、舌禍によって一人の客を失ったのだった。 |