シリーズ 大連みやげ話
ごった煮の大連
「私、大連行くの」とたまたま周りの人に言うと、「へぇー、懐かしいなあ、私そこに
住んでいたことあるんですよ」とか「あら、私の生まれた所よ、赤ん坊で覚えていない
けど」とか「ウチの両親は大連からの引揚者」なんていう反応が意外とあって驚いた。
私は(こりゃあ、心を込めて見てこなきゃ!)と鼻息も荒く旅立ったのであった。
台風まがいの悪天候の成田空港から約3時間。大連空港に着くと穏やかに晴れた観光日
和だった。ツアーメイトは中国語を勉強中の生徒たち、といってもほとんど年配者なの
だが、私を含め数人だけが中国語チンプンカンプンの部外者であった。
総勢24人は観光バスに乗ってまずは市内観光。
大連に関する私の乏しい予備知識によると、東アジアの近代史に登場したのは、それほ
ど昔のことではなく100年ほど前のこと。まず帝政ロシアがこの地を租借し、都市づ
くりを進め、その後の日露戦争で日本の支配下に入ったとある。
そんな歴史的いきさつからか、街にはロシア風の豪華建物、日本の明治時代に流行った
ギリシャ風の重厚建物、その間隙をぬって中国風絢爛近代ビルが建っている。まるで国
籍不明のごった煮のようである。だがそのごった煮の味付けに猥雑さはなく、しっとり
落ち着いてなかなか魅力的でおいしそう。かくし味は赤や緑のレトロな市内電車、やた
らと多い整然とした広場、白い花をつけた街路樹のアカシアと薄紫の桐の花、というと
ころか。
バスから降り立ったとき、ツアーメイトの白髪の老婦人が「昔はこの季節、町中がいい
香りがしたのに…せっかくアカシアの花盛りでも今は排気ガスのせいか匂わないわね」
とつぶやいた。
私はすかさず「昔ここにお住まいですか?」と聞くと、「そう、父は満州鉄道の役人で、
私は大連の小学校に通っていたのよ。そのころの街の様子をありありと思い出すわ。い
い暮らしをしていたんだけど、戦争に負けて引き揚げるときは何もかも売って、それは
それはつらい思いをして日本へ帰ってきたのよ。町も人もすっかり変わっているけど、
ここに何があったと思い出すと涙が出そう」と遠い目をしていった。どうやら彼女にと
って今回は思い出を辿るセンチメンタルジャーニー。
彼女にとっても初めての私にとってもいい旅でありますように・・・ |